自己紹介〜理学療法士になるまで〜

自己紹介

① 平凡な日常|愛情いっぱいに育った幼少期

遊ぶ場所は
自然豊かな田舎町。

自然の中で
のびのびと育ってきました。

父は一代で会社を立ち上げた
筋の通った情熱家。

母は、家族を陰で支える
縁の下の力持ち。

3人兄姉の中で
歳の離れた末っ子として生まれ
自他ともに認めるほど
愛情いっぱいに育ててもらいました。

家族が大好きで、自慢の家族。
家の中はいつも賑やかで
人の出入りも多く

笑顔があふれていました。
私はとにかく活発!

やりたいと思ったことには
夢中になるタイプで
特にバレーボールに熱中していました。

髪型はベリーベリーショート。
活発すぎてスカートが嫌いで
中学校の入学式直前には
母を困惑させたことも。

休みの日は、
寝るか食べるかテレビ。

賑やかで
愛情に包まれた日々が
私にとっての当たり前の日常でした。

この「当たり前」が
ずっと続くと思っていました。


② 苦悩や挫折|突然変わった日常

その日常が突然変わったのは
中学1年生のとき。
車の中で、母から告げられた言葉。

「お母さん、癌なの。」

元気に振る舞いながら話す母。
私は泣き顔を見せていいのかわからず
窓の方を向きながら泣きました。

その日から
日常ががらりと変わりました。
母は入院。

お弁当は自分で作り
学校から帰る場所は
自宅ではなく病院。

休日もお出かけではなく
病院で過ごすようになりました。

思春期だった私は
素直に甘えることも
できませんでした。

家に帰れば
次の日の準備をして
もう寝る時間。

以前のように家族が集まって
賑やかに過ごす時間は
どんどん少なくなっていきました。

学校でも
周りの友達とは違う生活に
戸惑うことばかり。

お弁当の中身に文句を言う
友達を見て、心の中では、

「ふざけるな。
作ってもらえるだけありがたいと思え!」

と思っていました。
外では普通に振る舞いながら
心の中ではいろんな感情を
抱えていました。

いつしか、表の顔と裏の顔を
使い分けるようになっていました。

母は手術を受けましたが
その影響で右肩が上がりにくくなり
リハビリを受けることに。


③ 新たな出会い|人生を変えた一言

母のリハビリを
担当してくれたM先生。

母はリハビリ室で
いろんな方と交流するようになり
少しずつ笑顔が増えていきました。

母の笑顔、先生たちの優しさ。
そんな姿を見て
私自身も嬉しくなりました。

実は私も中学生の頃
腰痛があり
同じリハビリ室に通っていました。

ある日、誰が言ったのかは
もう覚えていませんが
こんな言葉をかけられました。

「さっちゃんが理学療法士になったら
お母さんを治せるね。」

その一言が
私の人生を大きく変えました。

中学2年生の頃のことです。
母を助けたい。

その瞬間から
理学療法士になることが
将来の夢になりました。


④ 最大の危機|母との別れ

理学療法士になる。
中学2年生で決めた将来の夢は
一度も変わることがありませんでした。

高校生になっても
母は入退院を繰り返していました。

そして高校3年生の夏
母は亡くなりました。

母がいなくなり
突然、目標を失いました。

「母を治したい」

それが、私の夢の
出発点だったからです。

でも、理学療法士になることを
諦めるという選択肢も
ありませんでした。

それまで、ほかの夢を
考えたことが
一度もなかったからです。

母を助けることはできなかった。
だからこそ、これからは
患者さんを助けるために頑張ろう。

そう決めて、私は受験に向かいました。


⑤ 挑戦|母への想いを胸に、理学療法士を目指す

しかし
受験は思うようにいかず。

県内も県外も、何度も不合格。
周りの友達が次々と合格していく中
試験内容はどんどん難しくなる一方。

いつしか
「ここに行きたい」よりも
「どこでもいいから受かりたい」
という気持ちになっていました。

名前しか知らない
専門学校を受験。初めて
「ここに行きたい!」と思えました。

理由を言葉にするのは難しいのですが
そこに流れていた雰囲気が
ただ「ここだ」と思わせてくれたのです。

一度は不合格。

それでも諦めず
最後の募集にもう一度応募し
ようやく合格することができました!!

専門学校では
新しい環境への不安とワクワクが
入り混じっていました。

西洋医学の膨大な勉強量
幅広い科目、分厚い教科書。
そして、人の身体を預かるという責任。

3回の臨床実習もあり
とにかく勉強する毎日。

ストレスで
ご飯が食べられなくなったり
過呼吸になったりすることも。

それでも、家族や先生
友達に支えられながら
なんとか国家試験に合格!

その間には
大好きだった祖父も
亡くなりました。

祖父が最期に会いたいと
言ってくれたのは
孫の中で私でした。

あのとき何を話したのか
今ではもう覚えていません。

それでも、会いたいと
言ってもらえた事実だけは
ずっと心に残っています。

大切な人を失う怖さ。
当たり前に、いつまでも
生きているという確証なんてない。

大切な人との別れを経験するたびに
当たり前だと思っていた日常に
ついて考えるようになりました。

就職活動でも
何度か不採用になりました。

それでも最後には
本当に自分が行きたいと思える病院に
出会うことができました。

遠回りもしたけれど
ようやく理学療法士としての
スタートラインに立つことができました。


⑥ 成功|理学療法士として経験を重ねる

理学療法士になってからは
目の前の患者さんと向き合う日々が
始まりました。

外来、入院、デイサービス
訪問リハビリ、地域の運動教室など
さまざまな現場で

多くの方の身体をみてきました。
痛みを取ってあげたい。
少しでも動けるようになってほしい。

自分の力で
生活できるようになってほしい。

その一心で
休日返上で勉強会に参加したり
ピラティスの資格を取得したり
学び続ける毎日でした。

担当する患者さんも増え
試行錯誤しながらも
患者さんの笑顔や

「動けるようになった!」
という言葉にやりがいを
感じていました。

忘れられない場面があります。

痛みや動きにくさで
日常生活が不自由になっていた
ある患者さん。

私がお伝えしたのは
リハビリやケアの
ほんの小さなことでした。

「こんなことで?」と
言われるくらい
些細なことです。

それでもコツコツと
続けてくださった結果
少しずつ身体が変わり
日常生活が楽になっていきました。

「些細なことが、大事なんですね。」

そう言ってもらえたとき
身体と向き合うことの力を
あらためて教えてもらった気がしました。

これまでに約15,000人の身体と
向き合ってきました。

さまざまな身体
さまざまな人生に触れる中で
身体についての知識や技術だけではなく

人それぞれに違う背景や
想いがあることも学んできました。

外では普通に振る舞いながら
心の中にはいろんな感情を
抱えていた、あの頃の私。

だからこそ
目の前の方が口にしない想いにも
耳を傾けられる
理学療法士でありたいと思っています。


⑦ ミッション|身体が動くことの大切さを伝えたい

私が理学療法士を
目指した原点は
母を助けたいという想いでした。

母を助けることは
できなかったけれど
その経験があったからこそ

誰かの痛みや苦しみに
寄り添いたいと思い
ここまで歩んできました。

そして、たくさんの患者さんと
向き合う中で
強く感じるようになったことがあります。

身体が思い通りに動くことは
決して当たり前ではない。

自分の足で歩けること。
行きたい場所に行けること。
やりたいことができること。

それは、実は
とてもありがたいこと。

母との別れも
祖父との別れも
「当たり前の日常」は

決して当たり前ではないことを
私に教えてくれました。

病気や怪我をしてから
気づくこともある。

その前に
今ある身体の大切さに
気づいてほしい。

自分の身体に関心を持ち
自分自身を大切にしてほしい。

そして、自分の身体と
向き合うことが

自分の人生と
向き合うきっかけに
なってほしい。

身体が動くことの大切さを伝え
一人ひとりが自分の身体と
人生を大切にできる人を増やしていきたい。

それが、私の使命です。

編集後記

最後まで読んでくださって
ありがとうございます。

一度インスタグラムには
出していたのですが
改めて人生の棚卸しを。

書いてみて自分の原点は
改めてここだなーと。

ここから私の人生は
どんどん変化していきます✨
お楽しみに♪

こうやって長く書くのも
自分の中で挑戦だったりします。

いつか誰かのきっかけの一つに
なれたらいいな。

ブログにも
残していきます。

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