私の怒り
子供に対して
思い通りにさせたくて
怒ってしまうことはある。
でも、自分の中から沸々と
湧き上がってくるような怒りって
本当にあるんだろうか。
悲しみの前には怒りがあるらしい。
母が亡くなった後
「神様は私にどれだけ試練を
与えれば気が済むんだ」と
怒っていた時期があった。
でも答えが出ないからか
諦めたからか
いつの間にかその感情すら
なくなっていった。
夫婦関係でも
声を荒らげて喧嘩したことはない。
父は頑固一徹で
よく怒っている姿を見ていた。
そうならないように
反面教師にしていたのかもしれない。
なんとなく
しっくりくるようで、こない。
整体では喋れるのになぜ発信は喉が詰まるのか
6月30日
みんみんと綾子さんと
インスタライブをした。
最後に「明日は身体のことについて
私が話す」という流れになった。
オモイはあるのに
それを言葉にして
話すのがとても苦手だ。
整体をしているときは
ペラペラとよく喋る。
この差はなんだろう。
相手の受け取り方を
気にしているのか。
整体を受けるということは
相手が私に興味を持って
くれているということ。
だからこそ喋れるのかもしれない。
でも同時に
そこを突破したい気持ちもあった。
次のインスタライブを前に
なぜ自分が話そうとすると
喉が詰まるような感覚に
なるんだろうと考えてみた。
気づいた正体
出てきた答えはこうだった。
「自分が話したこと、言ったことが
本当にできているのか」と
話すことで自分自身が試される感覚。
本当に言っていることを
自分ができているのか試される。
多分そこに自信がなくて
勝手にハードルを上げて
不特定多数の人に
自分の思いを話すことに
抵抗が出てきたんだと思う。
この気づきは大きかった。
じんさんの言葉から
それと同時に
じんさんの言葉を思い出した。
この世の中を理解するには、
まず脱洗脳だよ。
でも俺は脱洗脳したなんて
言ったことはない。
その中でたくさん知って
學んで、やろうとしているんだよ。
そうか。
私もその考え方があれば
話せるかもしれない。
私が全てを知っている
達成しているから
話しているわけじゃない。
みんなと同じように
身体のことが知りたくて
一つ一つやっている。
その過程の自分の考えを
伝えていけたらいいなと
感じている。
明日はどうなるかな。
そういえば、
昔から「あらみたま」が
一つあったことも思い出した。
自分のことを棚に上げてって
思われるのが怖かったんだろうな。
「それを私がやっているのか」と
周りが見ていると思い込んでいたから
怖かったんだろうな。
今の気持ちを言葉を
出せたらいいな。
編集後記
インスタライブ終わって
運転中に出てきた。
自信がない
怖いと言う感情に
踊らされてた?んだろうな。
次の日。
大雨の影響か
みんみんのインスタライブに
登場できず。
母親の誕生日で
何か自分のきっかけに
なるかもと思ったけど
まぁ意味付けは
なんとでもなりますねw
今日インスタライブして
今の気持ちという
鮮度がいいものを話す。
これの大事さを
今めちゃくちゃ感じてる!


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